朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江。あの、元オウム真理教信者が泳いで渡って、朝鮮に亡命したというあの川だ。

北京−平壌の国際列車は、4人がけのコンパートメント。周りは当然のことながら全員朝鮮人民。やはり身構えてしまう。理由は、この人たちは警察関係者なのではないか?という疑念があるからだ。うわさでは、いつも同じ人が周りにいるとか、そんな類の話が結構あるからだ。はじめはそんな感じで、何ともいえない気まずい雰囲気が漂っていたが、3人のうちの一人がそこそこ英語ができるようで、何とか会話になりはじめた。話し始めると、向こうも日本人の旅行者に結構興味津々らしい。こんな時に意外に役に立ったのが、日本から持っていった「旅の指さし会話帳」。表紙に思いっきり「北朝鮮」と書いてあるのは、ちょっとたじろいでしまうが(中に、便宜的に「北朝鮮」の呼称を用いておりますが、ご容赦くださいといった但し書きが書かれているが、そんな所をいちいち読ませるかっていう気が…。)。まぁ、さすが海外に出ている人(商用で日本に来たこともあるらしい)ということもあって、いきなりキレだすこともなく、色々面白そうに読んでいたが…。この「旅の指さし会話帳」が、タイムリーな話題等も取り入れてあって、話のネタとしては、こういう列車の旅にはもってこいかも。たとえば、小泉−金正日会談での発言や、「ジャガイモ革命」なんて言葉や、朝鮮の歌手の名前まで載っていたりして、話題には困らないかも。

北京を発ったのが、17時25分。北京を発つ頃には、日も暮れ始め、程なくして郊外に出ると、窓の外は何も見えなくなる。時折、通り過ぎる街では、味も素っ気も無い無機質な建造物が緑色に妖しく照らし出されていたりする。北京はもう都会だと思ったが、こういうのを見るとまだまだ社会主義ということを意識してしまう。美的感覚のズレというか、どこか社会主義国家特有の色が感じられる。案の定、ただ暗闇の中を突き進むのみで、見るべきものが何も無い状態に飽きてしまって、いつもより早めに寝ることにした。

途中一回、目が覚めた時だが、線路の脇に工業団地か何かであろう、これまたただのコンクリートの塊というべき巨大なアパートが線路のすぐ脇までせり出してきた。列車は駅に入った後しばらく止まっている。田舎ばかりで、自分がまったくどこにいるのか見当も付いていなかったが、これはかなり大きいな街らしいということで、体を起こして、目を凝らして駅名を読んでみる。瀋陽の街だった。これが、中国東北地方の最大の都市かと思うと複雑な気持ちだが、昼間に見るともう少し印象が違うのかもしれない。こちらは雪がうっすらと積もっていた。

結局、夜が明けても瀋陽を通り過ぎた以外は、自分がどこにいるのか全然分からないままだった。ただ、駅の表示等を見る限りまだ中国にいるらしい。
だが、しばらくすると大きな街が目の前に広がってきた。大きな広告等もあり、結構華やいだ雰囲気だ。周りの人に聞くと丹東の街ということだ。丹東の駅は、中国側の終着駅。この先は、いよいよ朝鮮入国ということになる。もっと辺境の街というイメージがあったが、そこそこの都会のようだ。まずは、中国側の出国手続き。手続きは全て車内のコンパートメントに座ったままで行われる。係員にパスポートを渡すと、そのままどっかに持って行ってしまった。その後、どうして良いか分からずしばらく待っていると、同じコンパートメントに人が駅で花を買ってきて、窓に挟み込んでいる。よく見てみると、他のコンパートメントでも同じことが行われているらしい。

これは、首領様、将軍様の国に入るにあたって、飾り付けをしましょうということだろうか。

しばらく待ってみても、一向に発車する気配は無いので、他の人に混じって車両の外に出てみることにする。どうやら、皆が向かっている先は駅の待合室にある商店(免税店?)のようだ。駅の売店で売っているような飲み物、カップラーメンといった類のものから、鍋等の日用品まで、ここで買って朝鮮に持ち込むらしい。私は昨晩ろくに物を食べていなかったこともあって、ここでカップラーメンを仕込んでいった。列車の中でも、弁当とか売りに来るだろうと思っていたのだが、そのような気配はまったく無く、かといって食堂車に行こうとすると、「金持ち」と思われるらしいので、行くに行けなかった。結局、昨晩は朝鮮の方たちのご相伴に預かるという事態になってしまった。さすがに遠慮というものもあるので、ろくに食べれなかったというわけだ。周りの人々はまだしばらく買い物を続けているような雰囲気だったので、もう少しぶらぶらしてみる。丹東の駅のホームには、実はちゃんとした免税店もある。空港にあるようなタバコ・酒・香水といった嗜好品を売るような店だ。こちらは先ほどの商店と違い、閑古鳥が鳴いている。ちゃんとした免税店ということもあって、金額もドル表示がされている。マイルドセブン等の日本製のタバコも売っており、1カートン10数ドルと日本の免税店よりも安い値段で売っている。ここで、売っているということは、同じものが朝鮮にもあるということは、想像に難くない(わざわざこの値段で買って朝鮮に持ち込む乗客は、あまりいないかもしれないが。)。

結局、駅ですることも無くなり、コンパートメントに戻るが、まだ一向に発車する気配が無い。それどころか、乗客だけでなく、見送りの人も列車の中に入り混じってしまい、出発しそうな雰囲気はますます無くなってしまった。結局2〜3時間して、ようやく発車。ここで、上の写真にある鴨緑江を渡る。列車の向こう側にも橋げたが見えるが、これは朝鮮戦争のときにアメリカの攻撃で破壊されたまま、橋が途中で途切れてしまっているらしい。橋を渡る瞬間は、とうとうここまで来てしまったと、やはり感慨深いものがある。川を渡ってすぐに遊園地のようなものがある。もちろん乗り物は動いている気配が無い。今度は朝鮮側の駅である新義州に到着。

駅には早速スローガンが書いてある。当たり前だがハングルで。内心オオッとちょっとした感動を覚えつつも、目の前の状況にどうしても緊張感の方が表に出てしまう。ホームの上には、兵士が睨みをきかせ、警察犬が走り回っている。写真を撮りたいのだが、こんな所で写真を撮っているのを見つかれば、即連行されること間違いないだろう。中国側の出国手続きは、時間はかかった割には事務的であったが、こちらは全然違う。コンパートメントごとに兵士が立ち入り、乗客一人一人の荷物をくまなくチェックする。私も当然、チェックを受けるのだが、何を言われているのか何も分からない。ここで、同じコンパートメントにいた人が助け舟を出してくれたおかげで、かなりスムーズに事が運んだ。別に怪しい物を持ち込んでいるわけではないので、どうぞ勝手に見てくださいという状況なのだが、これは何だ?といわれても、一人じゃろくに説明できるわけがない。そもそも、これは何だ?と聞かれている事すら分かっていないのだが。私は、そうこうあって割とあっさり終わったのだが、朝鮮人に対しては、結構厳しいし、細かい。もちろん、国に帰る人の方が、自国に持ち込む物の量が半端じゃないので、当然といえば当然だが。中国の出国にも時間がかかり、朝鮮の入国はそれ以上に時間がかかりそうな雰囲気だ。結局、ある程度手分けをして進めるものの、荷物の検査が全て済むまで、延々と待つ羽目に。終わったら終わったで、「まぁまぁ兵隊さんご苦労様です」的な事があちこちで行われ、これまた一向に発車する気配が無い。かつ、駅のホームに出る事もできない。かといって、駅の中をじろじろ見回して怪しまれるのもイヤだし…。

かなり待たされたが、パスポートも無事に返却され、入国スタンプがパスポートとは別冊になっている朝鮮ビザに押される。これで、パスポート上は「どこにも存在していない」状態になってしまった。さぁ、いい加減出発だろうと思っていると、今度は、ホームの先にある木の扉が開け放たれ、そこから堰を切ったように乗客がホームになだれ込んできた。我々の乗っている寝台車両の前に新たにつながれた客車に乗る人らしい。皆、手に手に大きな荷物を抱え、身なりも必ずしも綺麗とは言い難い人が多い。そして、全体的に背の低い人が多い。やはり、これまでこのコンパートメントで一緒に乗ってきた人と比べると、貧富の差があるのは明らかだ。ホームには客車に向かう人が右から左へと次々と流れていくが、入口の扉の向こうにはまだまだ多くの人がいるように見える。どれだけの人が乗ってきたのかは分からないが、最後の人は動き始めた列車に向かって猛ダッシュをかましていました。そして、丹東の駅についてから、都合5〜6時間は経過したところで、ようやく出発。