先ほど、行く当てがあるのか疑いたくもなるような場所にも意外と人が歩いているということを書いたが、一つは農作業ということがあるだろう。人々の向かっていくその先では、耕作地の整地作業が行われ、その作業場の周りには沢山の自転車が止められていたという風景も見られた。これは、よく見えないが、収穫後の藁をまとめている所。燃料の問題があって機械化は難しいのかもしれないが、すべて人力に頼るというのは、いかにも効率が悪そうだ。朝鮮では「二毛作が今はやりです」と、後に平壌で会ったガイドが話をしていたが、そういう状況であれば、その農業の技術レベルというのも推して知るべしという状況だろう(失敗の最たる例は山の上までひたすら畑を作ってしまったというような事例だと思うが。)。日本では「北朝鮮=貧しい」という構図が出来上がっていて、その原因は独裁的な国家体制にあるという意見が多く、その国家体制はやがて自壊するに違いないといった日和見的な態度が多いような気がする。確かにそのようになるかもしれないが、そうなるまでの過程において貧困層に多大な苦労を強いるだけな気がする。「苦難の大行軍」と朝鮮の人が呼んでいる、飢餓が大きく問題化された90年代を経ても、金正日体制は自壊することなく現に残っている。経済援助はその資金使途が問題になってしまうかもしれないが、農業技術の支援等、日本としてできることはあるような気がするのだが。

話はそれたが、列車のコンパートメントで一緒になった人は、例の指さし会話帳の中に「行く手は険しくとも笑顔で進もう!」というスローガンを見つけると、私にこの朝鮮語を発音してみてくれと言ってきた。私が、そこに書いてある言葉を何度か読んで見せると、いたく満足げな顔をしていた。やっぱり、こういう所が精神的な拠り所になっているのだろう。朝鮮観光に行かれる場合は、やはり国際列車に乗ることを勧めたい。裕福な層であって、一般庶民ではないかもしれないが、実際に話をし、その雰囲気を肌で感じることは貴重な経験になると思う。