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ダライ・ラマ14世来日

午前中2時間。午後2時間。みっちり、話を聞かされてしまいました。正直な話を言うと、ちょっと期待とは違った内容だったかも。実際、朝早かったこともあってウトウトと気付いたら落ちてた時が何回もあったし。まず、猊下が入場されたときにいきなりみんなスタンディングオベーションっていう所からしてなんか雰囲気が違ったんだよね。まぁ、内容の方はがちがちの仏教のお話で、「色即是空、空即是色。色即是空、空即是色・・・・・・」まだまだ、頭ん中ぐるぐる回っています。すべてのものが因縁によって存在し、そのすべての因縁をほどいていけばなんにも残らないっていう「空」の考え方や、そこから「空」をないがしろにするような煩悩はいかんっていう所までは、なるほどなるほどっていうかんじで、僕ももう少し謙虚に生きなきゃいけないんだねって思ってたんだけど、午後に入ってからちょっとチベットらしく密教の話になって「タントラ」とかの話が始まると全然付いていけなかったです。そもそも、罰当たりな話かもしれないけど僕は修行をしているっていう意識もなければ、解脱をしたいって思っているわけでもないし、「菩提心」(こういう字でいいのかな?)っていわれても言葉の意味からさっぱり。日本語に翻訳されると、妙にリアリティが出すぎていて日本の宗教、仏教のイメージと強く重なってしまい、チベットで感じていたスピリチュアルなイメージとか荘厳なイメージとかと僕の中でのチベット仏教のイメージとはちょっとギャップを感じてしまう。大乗仏教と小乗仏教という違いがあるにしても、同じ仏教なんだからその大本は変わらないよって言われればその通りなのかもしれないけどね。でも、そんなにつまらなかったの?っていうとそうでもなく、やはり指導者と呼ばれている人の言葉だけあってその言葉の重みは大きなものがあり、あれだけ臆面もなく「生きとし生ける全てのものに慈悲の心を・・・」などと言いながら偽善も虚構も感じさせず説得力があるのはダライラマだからであり、それだけの背景を感じずにはいられない。まぁ、実際にチベットに行ってその信仰の姿の一端をかいま見たというのが大きく僕の中で左右しているんでしょうけど。もし、何も知らず、何に対しても信仰心のない日本人があの場にいて、会場にいるほとんどの人が一緒になって例の「菩提心」を表す言葉をみんなで唱和しているのを聞けば、客観的に見て宗教に「異常性」を感じるんじゃないかな。あとは面白かったのは、いろんな人たちがいたこと。チベタンがいたのはまぁ当然として、欧米の人たちがやたらと多かった。彼らの意識が日本人に比べ人権問題といったところに高いのは間違いないだろうし、そういう意識を持った人がそれなりに評価を受ける土壌があるのも間違いないから理解できないことではないんだけど、あの人たちにとってあのブッディズムっていうのはどう写るんだろうかね。あと、何で日本でダライ・ラマを見に行こうって思ったのかが知りたいね。日本のブッディズムもチベットのブッディズムも彼らの中では一緒くたっていうことはないだろうけど、どうなんでしょうか。それから多かったのはチベットに行ったことがある人でしょうね。チュパを着ていて、いかにも「チベットに行って来ました」っていう人もいたり、例の飲み仲間の「カイラス会」参加者にもばったり会ったり・・・。やっぱり、ダライ・ラマであるからには政治的な話も語ってほしかったというのが僕を含め、多くの人の気持ちだったんでしょうけど、それを求めるのは無理なことだったんでしょうね。でも、それなりに面白かった1日でした。ちょっと難しかったけど。そして、終わってからは第6回カイラス会。長い1日でした。

(00.4.16)