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同窓会

この12月に入って、僕の周りで2度ほど同窓会があった。1度目は小学校の同窓会。2度目は中学・高校の同窓会(同期会)。前者の方は親がこんなんあるよって見せてくれた新聞の切り抜きに告知がされていたんで、ふらっと住所だけでも書き残してくるかなという感じで行ったもの。案の定身近な人はおらず、卒業したてと見える中学生っぽい人たち4,50人の中に、僕も含めて大人が10人弱紛れ込んでるという変な状況。中学生ってこんな幼く見えたっけと思いつつ、ちゃっかり眉毛を剃って整えてる兄ちゃん(これがあまりにアンバランス)がいたり、前で誰かがしゃべってるときにぱらぱら消えていったりと、思わず「最近の若いもんは」と思わずにいられなかった。そうかと思うと前で話してる人は「静かにしないと、お話はじめませんよ。」とか、聞いてるこっちが恥ずかしくなるほどの子供扱い。さすがにそういう下手に出て良心に訴えるようなやり方は効果ゼロ。このアンバランスはいったいどうしたものか、そりゃ教育の現場が問題にもなるよ。まぁ、いずれにしても隔世の感は否めないね。8年ぶりぐらいに、生まれ育った街を歩いたときは、ちょっとした脇道をいまだに覚えていたり、小さな感動に思わずこみ上げてくるものがあったが、なんかそういうのも吹き飛んでやっぱり過去との訣別という感があった。
2度目のは、中学・高校の同期会だったのだが、ちょうど今ぐらいだとようやく働きはじめた人が出始めた頃で、いろんな人が今何をやっているのか気になって、あっという間に時間が過ぎていった。そこで、前から確かめたいことがあったのだが(実はここまで長い前ふり・・・)、今年の春、大学卒業前に中央アジアに旅に出たときに、「ウズベキスタンのタシケントにある日本大使館には中央アジア中の情報が集まった情報ノートがあるので、そこは見に行った方がいい。」と言われ、果たしてそのように大使館に赴いたのだったが、その情報ノートには高校の同窓生の名前が記されてあったのだ。タシケントに至るまで、トルクメンからウズベクに入りブハラ、ヒヴァ、ヌクスと回っていたのだが、その間出会った日本人はわずか3人。イスタンブールからアシガバードまで一緒に飛んであのアシガバードの異様なたたずまいを一緒に味わった2人組と、ブハラで会った「内戦開始後のアフガニスタンにも行ったことがある(実はこういう人が結構いるらしいということもわかったのだが)」という強者。いまでこそ「旅行人ノート」の影響でそれなりにいるだろうけど、一部のリピーターのような人しかいないと思っていた旅先で、こんなことがあるとは思いもよらなかった。あのころは将来こんな「バックパッカー」として旅してるなんて全然想像も付かなかったし、時間は人を大きく変えるということを思い知らされた一瞬だった。その疑問がついこの間解決したのだが、やっぱりその人だったようだ。160人しかいない同窓生との遠い異国での出会い。旅に出る半年前まではどうやったらその国に行けるのかすらわからないようなアジアの最深部で。やっぱり世の中狭いものだ。ちょっとだけ自分が大きく感じた一瞬だった。

(99.12.14)