去年の年末テレ朝放送の「チベット・シルクロード」を遅ればせながら見た(Thanks to Ms.Ayano!)。ヒロヤマガタが、ラサから1500キロ以上西にある西チベットのピヤントンガ遺跡に行き、テレビカメラ初取材を試みるという内容の番組。グゲ遺跡の近くにあるピヤントンガ遺跡は敦煌を上回る2000を超える石窟があり、貴重な仏教壁画が残されているという遺跡だが、発見されたのがなんと1992年。別の本を読んだ記憶によると、当時グゲ遺跡の発掘作業に向かった調査隊が鉄砲水のためにグゲ遺跡に行けず、その代わり偶然に発見したというのがこのピヤントンガ遺跡。こんなに壮大な遺跡がつい8年前まで人目にさらされることなく眠っていたという事実。つくづくチベットの奥深さを感じさせられる。遺跡はグゲ遺跡と同様、あの長年の浸食によって作られた、今にも崩れ落ちそうな異様な土山の上に寺院、王宮が建てられている。ツァンダの町の近くにあるゴンパ跡やグゲ遺跡と似たような印象はあるが、圧倒されるのは無数に見える石窟跡。ツァンダの近くにも住居の跡はいくつか見られたが、スケールが違う。そして、壁画が残されているという石窟。ピヤントンガ遺跡の中にどのくらい数のああいった壁画の描かれた石窟があるのかはわからないが、今回撮影された2つの窟は両方ともすごかった。あの立体的な天井の枠組みとそこにも描かれている曼陀羅。天井に曼陀羅が描かれているのは、確かサムイェもそうだったと思うが、ああいう幾何学的な模様を配した立体的な天井というのは確かに記憶がない。切れ長の穏やかな目が印象的なしなやかな曲線で描かれた仏画は確かにグゲで見たものに似ているし、千仏堂といった感じに少しずつ手の組み方等が違うだけの同じような仏画が並ぶ壁画はグゲにもあった。ただ、グゲの壁画よりもさらに鮮やかな色で残されている。そして、描かれているものが異国の人々、飛天、動物など様々なものがあるのも面白い。飛天といえば確かに法隆寺かもしれないが、そこまで一足飛びに行くのではなくあの印象はむしろ敦煌のものに近いし、いろんな対象のものが書かれているというのも何となく敦煌で見たものの印象にある気がする。ラダックのものや、カシミールのものの影響があるのは地理的にも十分にわかるし、今の中国とインドの国境がそういう背景とは関係ないところで設定されたものであることやそういう国境が我々に与える先入観を差し引けば理解できる範囲内である。ただ、僕がトラックで越えた崑崙を越えて敦煌との文化の共通点をも指摘されているというのは本当に興味深い。ヒマラヤを越え、チャンタン高原を抜け、さらに崑崙、タクラマカンと越えて1本の道がつながっているという壮大な事実。それが荒涼とした西チベットの中につい8年前まで眠っていた遺跡の中にはっきりとかいまみえること、やはり改めてシルクロードにロマンを感じずにいられない。映像の中で見たヒロヤマガタが歩くチョルテン群は、僕が歩き、ひなたぼっこや読書をしていたツァンダのチョルテン群だったし、ツァンダに至るあの異様な谷の間を縫っていく道は、僕がトラックの荷台で揺られ何度も転びながらも必死に立って見ていた谷の風景に間違いなかった。ほんの短いカットの中にも、僕が見て感じてきたものが現れていた。映像という平面の中からは感じ取れないチベットの日差し、峠を吹き抜ける風、ピンと張りつめる冷気、どこまでも澄み渡る無音の世界、そういったものを合わせて感じることができればどんなに幸せだろうか。
(00.2.28)